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第一話 同居開始!

「……本当に?」
「うん……」

 父さんの再婚が決まって初の登校日、私はこの昼休みの間まで、何回溜息を吐いたんだろう。
ベランダ前の水飲み場に並んであるテーブルで、私と梨川來音ちゃんは、向かい合ってお昼ご飯を食べていた。
こんな話を唯一聞いてくれる親友の來音ちゃんは、ぽかんとしたまま私の方を見ていた。

「でも、それって逆に好都合じゃない? あの時の仕返しが出来る訳だし」

 笑顔で物騒な事を言う腹黒い來音ちゃんに、私は少し顔を顰めた。

「無理だよ。精一杯可愛がるって、お義母さんに言っちゃったもん」
「……本当、キヌって真面目だね」

 私の回答に、來音ちゃんは苦笑してそう言った。
その言葉に、私はすぐさま反発した。

「真面目じゃないよ、宣言した事を撤回したくないだけ」
「それを真面目って言うんだよ」

 そこでまた繰り広げられる、私が真面目か否か議論。でもはっきり言って、そんな自覚は毛頭無い。
 規則を守るのは当然だけど、逆に規則に無ければ何をしても良いと思ってる人間が、果して真面目と言えるのか。
だから私は、自分なりの考えを言って、來音ちゃんの説得を試みた。

「『男に二言は無い』ってよく言うでしょ? あれ、女は二言あるみたいだから嫌なんだよ。だから自分で言った事は、なるべく執行したいの!」

 更に言えば、私はあの時の事を、もう気にしている訳じゃない。
特に私は、小中学校で虐められていた側の人間だから、あんまり人を酷く傷付ける様な事はしたくない。
 すると來音ちゃんは、今度は別の言葉で私を褒め始めた。

「じゃあ、キヌは良い子だね」
「……やめてよ」

 何だか変に、頬の辺りが熱くなってしまう。
 私と來音ちゃんの性格は、正反対と言っていいと思う。気が合う所もあるけど、私が絶対しない様な事を彼女は平気でやる。
でも、それは悪い意味でばかりじゃない。根は良い子だっていう事は、この高校で私が一番よく知っている。
 とは言え、今はこの褒められ地獄をどうにかしたい。このままだと顔全体に熱を帯びて、爆発してしまう事必至だ。
だから私は元演劇部員として、これでもかという程口を吊り上げて、悪者っぽくみせた。

「まぁでも、『姉としてしっかり躾ます』とも言っておいたから、厳しく躾はする心算だけどね……」

そこに少し低めの笑い声も付け加える。さて、こんな奴が果して真面目で良い子なんだろうか。
 途端に、來音ちゃんの笑顔が強張る。

「絹子、怖い」
「ふっふっふ……。あいつ未成年のくせに酒呑んだり、夜中の11時くらいまで友達と遊んでたりを、平気でやってるらしいからな……」

 以前、奴とメールを交わしていた時に、そんな話をしていたのをよく覚えている。
それを聞いた來音ちゃんが苦笑したまま何も言わないのは、奴と同じような事を自分もやっているからだろう。

「しかぁし! うちに来たからには、そんなミニ犯罪的生活を、この私が許すと思うなよ! ドゥワーッハッハッハッハァ!!」
「キヌ!? キヌ帰って来てぇ!!」

 そして私は立ち上がって、本当の悪者がしそうな高笑いを挙げる。
周りの目線も、來音ちゃんの突っ込みも、そんなもん知ったこっちゃない。私は真面目でも良い子でもないのだから!
 ただ一つ言っておくと、私は素面だ。酒なんて美味しいイメージもないから、成人しても呑む気にならない。
それに、こんな風にハイになるのは何時もの事で、來音ちゃんも慣れている筈なのだ。
 と、その時

「……多田っち、何してんの?」

 不意に馴染みのある声がして、私は一瞬固まった。
ゆっくり振り返ってみると、そこには同じ部活だった比護君が呆然とこっちを見ていて、その隣に居た比護君の友人も同じ表情をしていた。
奴――操鷺信太だ。

・・・・。

 即座に机に突っ伏した。

「ちょ、キヌ大丈夫!? キヌ!!」

 來音ちゃんが慌てて寄り添ってくれたけど、今の私に顔を上げるなんて行為は、とても出来なかった。
唯唯切実に、溶けたいと思った。

「……比護、行こう」
「え、でも操鷺」
「いいから」

 比護君も來音ちゃんと同じく、私があいつを嫌っていた理由を知っている友人である。
奴は比護君を連れて何処かへ行ってしまうと、ようやく私は顔だけ上げる事が出来た。

「ほら、こんな皆が見てる所で騒ぐからだよ」
「……今後、気を付けます……」

姉の様に私を叱り付ける來音ちゃんに、私は項垂れるしかなかった。
 奴と同居生活を送る日まで、数日のブランクがあったけど、この時ばかりは光陰矢の如しという諺を恨んだ。
來音ちゃんの前ではあんな事を抜かしたけど、年の近い男性と同じ屋根の下で寝泊まりする事なんて、男兄弟の居ない私には有り得ない事だ。
だから、奴を自分の弟としてしっかりと躾ける自信は、はっきり言って皆無なのだ――。

 ――早くも、操鷺一家との同居生活が始まった。
一家と言っても、母親と息子の二人だけなんだけど。

「それじゃあ今日から宜しくね、ほら信太も挨拶なさい」

 纏めた荷物を下ろした後で、今日から私達の義母になる明美さんは、改まって挨拶をした。
明美さんにそう促されたものの、奴は軽く頭を下げただけで、口を開く気配は全く無かった。

「何処の部屋で寝たらいいのかしら?」
「明美さんは客室、信太君は元々麻弥子が使ってた部屋を使ってくれ」

 明美さんがまた荷物を持ち上げると、父さんが其々の部屋の方向を指差した。
因みに麻弥姉は、元々相部屋の、私と郷姉と一緒に寝る事になるらしい。かなり狭苦しい事になりそうだ。
 なんて事を考えていたら、不意に父さんに名前を呼ばれた。

「信太君の荷物整理、手伝ってあげなさい」
「え!?」

 突然ババを押しつけられた私は、反発せざるを得なかった。
でも父さんは、友達なんだし会話も弾むだろうと暢気な事を言って聞いてくれない。

「てか、何で私だけ? 父さんと姉ちゃん達何すんの?」
「何って、明美さんの方を手伝うに決まってんだろ」
「明らかこっち人員少ないよ!!」

 父さんの仕切る荷物整理の人員配置が、どれだけ不公平なものか説明するのに、とにかく必死だった。
疲れるとかそんなんじゃなくて、唯単に奴と部屋で二人きりになるのが嫌だった。気まずいし。
 その時インターホンが鳴ったと思ったら、開いていた玄関から、引っ越し業者のお兄さんが大きめの段ボール箱を抱えてやってきた。

「ちわーす、この荷物何処に置いたらいいすか?」
「ああ、あそこの部屋に置いて下さいな」

 玄関に上がってくるなりそう尋ねるお兄さんに、明美さんは笑顔で自分の部屋の方を指差した。
それから続々と引っ越し業者の人達が入って来て、奴の部屋に入った段ボールがたった二箱だったのに対し、明美さんの部屋には十箱以上入っていった。

「……で、人員がどうしたって?」
「すいません。何でもないです……」

 運ばれてきた箱の量に、流石の父さんも顰めた顔で私にそう聞いた。確かにこれは、明美さんの方を大人複数で手伝った方がいいに違いない。
仕方が無いから、私は奴と二人で奴の部屋の荷物整理をする事になった。

「ちゃっちゃと終わらせちゃお! ちゃっちゃと!」

 もうヤケクソになっていた私は、まず奴が背負ってきた旅行用鞄から手をつける事にした。
すると、さっきまで無愛想だった奴が、慌てた顔をしてようやく口を開ける。

「それは、俺がやるから!」
「るせー! 黙って姉ちゃんに任せてろー!」

 けど本当にヤケクソだった私は、先にやると決めたこの旅行用鞄にしか集中する気が無かった。
真っ先に取り出したのが、奴のトランクスだった事に気付くまで。

「……俺が、やるから……」

 その時奴の顔が、何処か恥ずかしそうで哀愁を帯びているように見えたのは、きっと気の所為じゃないんだろう。とりあえず謝った。
とにかく旅行鞄は奴に任せて、私は段ボール箱に入ってある物の整理に着手した。
段ボールの中身は、殆どがゲームや漫画の本ばっかりだった。

「うおぉ、これずっとやってみたかったやつだー! 後でやってもいい!? あとこれも読みたい!」
「……別にいいけど」

整理する度にテンションが上がる私に、奴は呆れてる様子だった。
 最初は気まずいようにしか思えなかったけど、何だかんだで普通に対応出来てると、自分自身では思ってんだけど

「なぁ、最近どうかしたのか?」

奴のその質問に、私はつい手を止めてしまった。

「最近話しかけてこないし、この前お前にメールしようとしたらエラーが返ってきたんだけど」

 心臓の動きが止まった気がした。
 大体予想はしていたけど、やっぱりこいつは私に何をしでかしたか、全く自覚していないらしい。
その事に少しだけ腹が立ったものの、もう当時の事は気にしていない。唯、こっちから絶縁状態にしたのに、今更仲直りしようなんて思えなかっただけだ。

「最近、私の携帯イカれててさ。話しかけられなかったのは、公務員試験で忙しかったから」
「嘘吐くなよ」

てきとうに返すと、即座にそう言われた。
 これだから二人きりは嫌だったのに、と私は心の中で叫んだ。

「何時もそうだ、相手が傷付く事だったら、お前は何時もそうやって隠すんだ。俺、お前に何かやったんだろ? はぐらかすなよ。そういう奴は嫌いだ」

 他に誤魔化す方法を考えていたら、奴に挑発的な言葉をぶつけられた。
やっぱり、当時の事は気にしていないというのは、撤回した方が良い気がしてきた。奴のその言葉に、私は怒りを隠しきれなくなってしまった。

「……それさ、お前が言える事?」
「え?」
「自分の気持ち人に伝えないくせにさ、何で人に対してはとやかく聞く訳?」

 一言一言、奴に伝える度に抑えつけてた当時の怒りが込み上げてきた。

「さっき嫌いって言ったよな。じゃあそう言って、私の事振ればよかったじゃん! 木田さんと付き合ってるからなんて、そんなの最初から知ってたよ!」

 視界がぼやけてきた。きっとここに來音ちゃんが居たら、私を止めに入ってたんだろう。
本当に、これだから二人きりにはなりたくなかったのに。

「ブログで笑われるくらいなら、嫌いって言ってくれた方がましだったよ!」

 とうとう私は、自分の気持ちを吐き捨てて、奴の部屋を飛び出して自分の部屋に閉じこもった。
さっきから聞こえる怒声に、明美さんや父さん達が、唖然とした表情でこっちを見てたけど、もうそんな事気にならなかった。
自分のベッドに潜り込んで、その場で大泣きしてやった。


* * *


『え? 好きな人に告白したら、その人のブログで笑われたって?』
『そう! 『告られた(笑)』って書いてあってさ、すっごいムカついた! あんな事するような奴じゃないって、信じてたのに!』
『そう……』
『しかもさ、その事比護君に話したら『それって普通じゃない?』だってさ! 何で? 人を馬鹿にするのが、当たり前なの? それが普通なの?』
『……キヌ』
『何?』
『それってさ、馬鹿にしたんじゃなくて、自慢してたんじゃない?』
『え?』
『だから、『俺告白されたぞ、羨ましいだろ』ってやつだよ』
『……それ、どういう事?』
『だからね、つまり――』

――その子はキヌに告白されて嬉しかったんだよ。

 目を開けると、窓の外はいつの間にか真っ暗になってた。私は何時の間にか、眠ってしまっていたのだ。
部屋の外から、食器を片付ける音や、ドタドタと忙しない音も聞こえて、荷物整理もまだ終わっていない事が確認出来る。
 目元に手を当て、溜息を吐いた。私は馬鹿か。いや、馬鹿なんだ。
とにかく上体を起こして、伸びをしようとしたその時になって、ようやく左手の圧迫された感覚に気付いた。

「!!?」

 うっかり大声を上げるとこだった。まさか奴が私の手を握って、ベッドの横で座って、こっちに頭乗せて爆睡してるなんて、思いもしなかったからだ。
 うん、分かった。これは夢だ。奴がそんな、私の妄想のままに動く訳が無い!
そう思って、自由な右手で自分の頬に右ストレートをかましたところ、激痛が走ったどころか脳みそが揺れた。どうやら夢じゃないらしい。

「あら、絹子ちゃん起きたの?」

 腫れた頬を擦っていると、ドアの方から光が差して、明美さんが入ってきた。
途端にこの場の雰囲気が、一気に気まずくなった様な、そんな気がした。

「あ、あの……、ごめんなさい」
「いいのよ。こっちこそごめんなさいね。まさか、貴女と信太が喧嘩中だなんて思わなくて……」

一先ず、謝らなきゃいけないと思ってそう言うと、明美さんは苦笑しながらも許してくれた。

「いや、喧嘩とかじゃなくて……、私が一方的に嫌ってた、というか……」
「そう、それでこの子、泣いてたのね」
「……え!?」

 一瞬、明美さんの言っている事が理解出来なかった。私はこいつの泣き顔を、一度も見た事がない。
昔、落ち込んでたこいつに励ましのメールを送って、泣かした事は一回だけあるらしいけど、今度はそれとは全く正反対の意味で泣かせてしまったみたいだ。

「この子、意外と泣き虫でね。貴女の事を問い詰めようとしたら、ボロボロ泣きだして……」
「……本っ当に意外ですね」

  明美さんの言葉に相槌を打ちながら、私はこいつが泣いた理由を考えていた。

「それでね、私達が聞く前に自分から喋ってくれたのよ。知らない内に絹子ちゃんを傷付けてたって」
「え……」

 おいおいおい、何だそれ。急にこいつが可愛い奴にしか見えなくなってきたじゃないか。
もしかして、あの時郷姉が「私に告白されて嬉しかった」って言ってた事は本当だったのかな。嬉しい気もするけど、それはそれで申し訳が無い。
ぽかんと口を開けて唖然としていると、明美さんは少し悲しそうに笑って言った。

「……絹子ちゃん、やっぱり私達じゃ嫌だったかしら?」
「そんな事ないです!」

 さっきの話から急にそんな話に切り出すなんて、明美さんはずるい人だと思う。
大声で咄嗟にそう返して、奴が寝てる事を思い出して慌てて口を塞いだ。

「確かに郷姉は反対してたけど、あれは対人恐怖症だからであって、私や麻弥姉は、父さんが寂しそうだから賛成してました。それに私、ずっと弟が欲しくて……信太が弟になるって聞いて、すっごく嬉しかったんです!」

 弟が欲しかったってのは事実だけど、嬉しいなんてのは勿論お世辞。どうせこいつは寝てるから聞いてないしね!
私の言葉に、明美さんは悲しそうに笑っていたのを、ようやく止めてくれた。

「そう。絹子ちゃんから、それを聞けて良かったわ」

そう言って明美さんは立ち上がると、皿洗いの続きがあるからと言って、出て行ってしまった。
 とりあえず事が片付いたように思えて、私は安堵の息を吐いた。
と、その時――

「ぎゃあぁ!!?」

 とても女子高生とは思えない悲鳴が、口から出てきてしまった。
明美さんが出て行ったのを見計らって、突然奴がムクッと起き上がったのだ。


* * *


『おはよう、シン君!』

 俺を見るなり、あいつは嬉しそうに笑って手を振った。
その前にどんなに不機嫌そうな顔をしてても、どんなに辛そうな顔をしてても、俺が居ると気付いたら、それが嘘の様に変わる。
察するには十分だった。それでも、察した時にはもう遅かった。

『気に入らない所があるなら直すから、別れるなんて言わないで!!』

 怒った様な表情で、涙を流しながら風喜はそう言った。
簡単にそう言う割には、指摘しても全く直ってないからそう言ってるのに、風喜は全然分かってなかった。そして最後にはいつも、俺の心が狭い所為だと言われる。
女付き合いが面倒臭いと思うには、十分なきっかけだった。
けれど――

『私、シン君の事が好きです』

分かっていた筈なのに、実際に言われるのは、テンションが上がったと言うか、胸が高まったと言うか。
けれど何度別れると言っても、その気にならない風喜の事が頭に過ると、断らざるを得なかった。
 だけど俺は知っていた。あいつは、実はよく僻んでしまう悪い癖がある事を。
嫌われているのかも知れないって、不安になってるんじゃないだろうか。自分に自信を失くしたんじゃないだろうか。断ってから思った。
だから、せめてその誤解だけでも、解いてやりたいと思った。唯それだけだった。

「ブログで笑われるくらいなら、嫌いって言ってくれた方がましだったよ!」

 どうして、こんな事になってしまったんだろう。安心させる心算が、逆に傷を深く抉ってしまっていた。
情けなかった。あいつをあそこまで傷付けておいて、あいつをあれだけ泣かせておいて
――涙を流している自分が。

「俺、いつの間にかあいつを傷付けてたんだ……」

 何の騒ぎかと見に来た後で、呆然と立ち尽くしている母さん達に、俺は声を絞り出してそう言った。
どうしても失くしたくなかったものを、失くしてしまったような気がした。

「……そう、信太君だったんだ」

 思っていた事を全部吐き出した後で、郷重さんがそう言った。
それから俺の頭を優しく撫でてくれた後で、微笑んでこう言ってくれた。

「絹子の傍に居てあげてくれる? 片付けは私達でやるから……ね?」

打たれる事を覚悟していたから、郷重さんの言葉に俺はつい目を丸くしてしまった。
途端に、麻弥子さんが不服の声を漏らした。

「はぁ!? それあんた一人でやるんでしょうね?」
「……うん、やるよ」

郷重さんは麻弥子さんを、睨む様な顔で答えた。異様な雰囲気が、その場に漂っていた。

「……いえ、いいです。俺がやります」
「駄目! 私の可愛いキヌを傷付けた罰!」

 蚊の鳴く様な声しか出せなかったけど、しっかり聞こえていた郷重さんは、先程とは打って変わって噛み付く様に言った。
行かないと本当に噛み付かれそうな気がして、仕方無くあいつの部屋のドアをノックした。
……返事が無い。そっと開けてみると、あいつは泣き疲れた様で、寝てしまっていた。
 俺は中に入って、椅子をあいつのベッドの横まで引っ張り出して、そこに座った。
それからそいつの手を握って、聞こえていない事を承知で呟いた。

「ごめんな……」

 また、涙が出てきた。
頬を伝わない様に、でもそいつの手を離す訳にもいかないから、自分の肩に顔を押し付けた。
そのまま、そいつが起きるのを待っていようと思った――

『伯父さんが食道炎で死んだ。その事を電話で聞いた母さんが、一人で泣いている。
 俺に何が出来るんだろう。泣いている母さんを見て、自分も泣きそうになるだけで、何も出来やしない。
 どうして俺は、こんなにも無力なんだろう……』

 ブログで文字を打つ指が震えた。どうしてこんな事を書きだしたのかは、自分にも分らなかった。
慰めが、欲しかったのかも知れない。後で送られてきた、あいつからのメールの様に……。

『少なくとも、私はシン君の事を無力だとは思わない。
 人なんて、何時死ぬか分からないもの。だから伯父さんが亡くなられた事で、シン君が自分を責める必要は無いんだよ。
 それにね、人の前で泣くのって、結構勇気だ要るんだよ。大人になればなる程、一緒に居て安心出来る人の前でなきゃ、泣く事なんて出来ないんだよ。
 だから大丈夫。シン君はちゃんと、お母さんを救えてるよ。』

 堪え切れなかった。携帯の画面にぽたりぽたりと雫が落ちた。
あいつはいつも自分を卑下して、何も出来ないだなんて言っていたけど、ちゃんと出来るじゃないかって、その時返してあげれば良かったのかも知れない……。

「そんな事ないです!!」

 突然そんな声が聞こえて、俺は目を覚ました。

「確かに郷姉は反対してたけど、あれは対人恐怖症だからであって、私や麻弥姉は、父さんが寂しそうだから賛成してました。それに私、ずっと弟が欲しくて……信太が弟になるって聞いて、すっごく嬉しかったんです!」

あいつの声だった。いつの間にか、俺も寝てしまっていたのだ。
しかしこのタイミングで起き上がるのも気まずいから、このまま寝たフリをしていようと思った。

「そう。絹子ちゃんから、それを聞けて良かったわ」

今度は母さんの声がした。その言葉からして、二人がどんな話をしていたのかは、見当がつく。
 皿洗いがあるからと、母さんが出ていったのを見計らって、起き上がった。
……と同時に、あいつに奇声を上げられ殴られた。

「……いきなり何すんだよ」
「ごめん、つい……」

殴られた部分を押さえながら、そう言ってやると、意外とすぐに謝った。どうやら条件反射だったらしい。
 そんな事は置いといて、俺は本題に入ろうと、潔く頭を下げた。

「ごめん。お前を傷付ける心算は無かったんだ。唯、お前の事嫌ってるとか、そんなんじゃないって、分かって欲しかっただけで……」

 怒っているだろうか、そう思ってちらりと顔を上げると、そいつはきょとんとした顔で、瞬きを何回もしていた。
それから気まずそうに目を逸らしてから、長い溜息を吐いた。

「あー……、こっちもごめん。本当はもう、あんまり気にしてなかったんだよね。それに、これから私等姉弟になる訳だしさ、こういうどんよりした話はもうやめよ?」

 そう言って、いつもの明るい笑顔に戻ってきたから、俺はそれを見て一先ず安心した。
だけど、ある一語に引っ掛かってしまった。


「……姉弟?」
「あれ、明美さんから聞いてない? 私がお姉さんで、君は弟なのだ」

 どうしてそうなったんだと、聞いてしまいそうになったが、そう言えば確かに、あっちの方が誕生日が早かった気がする。
そう言うとそいつはニヤリと笑って、俺の方を指差した。

「言っとくが、私はもうシン君なんて、余所余所しい呼び方しないからな! それから今まで、お前が送ってきた自堕落な生活は、私が完全拒否してやるから覚悟しろ!!」

 そこまで言われて、俺が思った事は、こいつは立ち直りが早いという事だった。
苦笑するしかなかったけど、そいつが何時もの、多田絹子であるという事に、本当に安心した。

「じゃあ、俺も絹子って呼んだ方がいいのかな」
「姉ちゃんって呼べバカシン!!」

 何時もは比護と同様に、多田っちって呼んでたから、少し新鮮な感じがする。
だけど、この日俺達は確かに姉弟になったのだ。


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