TOPに戻る
前のページ
次のページ

第三話 思春期故?

 授業も終わり、比護達と図書室で勉強してから、六時になったところで家に帰った。
変な噂が立つと面倒だから、勿論帰りも絹子とは別行動だ。
 今日は危うく、風喜と修羅場になるところだったからか、洗面所の鏡で見た自分の顔は、酷く疲れているように見えた。
台所では、母さんが晩ご飯を用意してくれる。再婚するまで、母さんが家事をしてくれた事なんて、数えるくらいしかないから、少し不気味に思ってしまう。

「あれ、絹子は?」

 晩ご飯を食べ終えた所で、ようやく絹子が居ない事に気付いた。
母さんとだけでいるのが当然の毎日を過ごしてきたとは言え、家族の一員をすっかり忘れている事には、罪悪感があった。
麻弥子さんも郷重さんも、義父の和正さんも仕事だから、この時間帯に帰って来る事はまず無いらしいが、絹子が俺より遅い筈がない。

「絹子ちゃん? 絹子ちゃんなら……」
「明美さん、お先でーす」

 俺の問いに、母さんが答えようとしたその時だった。
絹子の声がしたと思いきや、俺はとんでもないものを目にしてしまった。

「……へ?」

 俺が帰っている事に気付いていなかったらしく、驚いた表情の絹子の頬は赤く、タオルで拭われた後の解けた髪はしっとりと濡れていて、艶が増していた。
開いた口が塞がらなかった。風呂に上がったばかりの絹子は、所謂下着姿というやつだったからだ。

「わあああぁぁぁぁあああっ!!」

 暫く間が空いたと思いきや、絹子は突然悲鳴を上げて自分の部屋に飛び込んで行った。
絹子の部屋のドアが勢い良く閉まった直後に、母さんが手を叩いて大笑いした。

「やだぁ〜! もう、絹子ちゃんったらぁ〜!」

 部屋に笑い声を響き渡らせる母さんをよそに、俺は呆然とそのドアを見ているしかなかった。
そして直感的に、これはまずいと確信した。

「あら、信太どうしたの?」
「……部屋で勉強する」

 とにかく部屋に戻らなければ、そうしなければ全てが終わる気がした。
ドアを閉め、鍵を掛ける。そして机の上に置いてあったティッシュを、箱から2、3枚抜き取った。

「……ふぅ……」

 ティッシュを捨てた後で、溜息を吐く。俺は一体何をやってるんだ。
いや、そもそもあれは絹子が悪い。俺達が来るまでは、ああやって過ごすのが普通だったんだろうが、俺という『男』が此処に住むんだから、それくらいは自重して欲しい。
でないとこんな風に、自己嫌悪に陥ってばかりの日々を送る羽目になる。
 いつだったか、引退する前に部活の同期で集まって、うちの学年の女子で、誰が一番巨乳かという話をしていた。
その時は特に興味が無くて、多田が一番だの、やっぱり別の女子だの、そんな話を聞き流していた。
けどいまなら断言出来る。一番は絹子だ。あれは最低でも、Eはあると思う。
 というか、あの下着は一体何だ。あれが俗に言う淫乱ピンクというやつなのか? ああ見えてそういうのが好きなのか!?

がつんっ!

 頭に酷い激痛が走る。それも当然で、自分を落ち着かせる為に、自分で机の角に頭を思いっきりぶつけたのだ。
 俺は一体、何を考えているんだ。絹子は家族であって、義姉であって、断じて恋人とかじゃなくて……。
そりゃあ確かに、あいつは風喜と違って俺より背が低いから、そこまでコンプレックス感じないし、スタイルだってあいつの方が好みだし……。

「……ん?」

 ふと、俺は自分が今考えていた事に疑問を抱いた。
今の今まで、好みのタイプだなんてものは、考えた事が無い。風喜と付き合ったのも、向こうから告白されたから、なんとなくで付き合ってただけだ。
 やがてその疑問は、喜びへと変わっていった。好きなタイプがはっきりと分かったなら、それを理由に風喜と別れられるんじゃないか?
しかし、そう考えると、俺は絹子が好きだという事になる。別にそれを否定したい訳じゃない。でも、今まで人を好きになった事が無いから、どうもそうだと判断し難い。
それによく分かりもしないのに、そんな事を風喜に言ってしまえば、絹子がどんな酷い目に遭わされるか、分かったもんじゃない。

「……よし」

 風喜との別れ話の手順を粗方考えて、台所に向かった。
 絹子は晩ご飯を食べている最中で、俺が来たと分かった途端、真っ赤な顔をそっぽ向けて、ご飯を口に掻きこみ始めた。
この時俺が安堵したのは、絹子が今度はちゃんと服を着てくれていた事と、母さんが台所から姿を消していた事だ。きっと風呂に入ってるんだろう。

「絹子」

 ガツガツとご飯を食べる絹子に静かに声をかけると、絹子は食べ物を喉に詰まらせたような顔をして、ジロリと睨むようにこっちを見た。

「さっきは、ありがとうな」

お蔭で、ようやく風喜と別れられそうだ。と、付け足そうとした途端、絹子は持っていた箸を手から放し、支えの無くなった箸はからんと床に落ちていった。
何かとてつもなく恐ろしいものを見ているかの様に、顔を引きつらせて、絹子はいつもより少し低めの声で言った。

「お前、いっぺん死ねよ」


* * *


 あの事件の翌朝、私はいつもより早く起き、自分の弁当を作って、皆が起きるより先に家を出た。
誰も居ない教室で、一人ひたすら絵を描きながら、朝礼までの時間が来るのを待っていた。
というのも、あのバカシンと顔を合わせたくなかったからだ。この時ばかりは、クラスが違ってて良かったと心の底から思ったくらいだ。
 晩ご飯を食べてる最中にあんな事を言われた所為で、奴にしこたま罵詈雑言をぶつけて、ご飯を胃に流し込んでまた部屋に籠らなきゃいけなくなった。
でもこれは当然、信太が我が家に住むことに対して、気配り出来てなかった私の責任だとは思うんだけど……。

「なぁにが『さっきは、ありがとうな』だよ、あのド変態っ!」

 お昼休みになってから、早速その事を來音ちゃんに愚痴っていた。
けど、いつもは私に同情してくれる(と私が勝手に思ってる)來音ちゃんも、今回ばかりは難しい顔をして、じっと私の方を見つめている。

「……でも、やっぱりそれは絹子が悪いよ」
「いや、そりゃ分かってるけどぉ!」

そして、言いにくそうに結論付ける來音ちゃんに、私はつい机に体を乗り出してしまった。
 私が悪いのは百も承知! どうせ私は、男付き合いの経験が皆無な喪女ですよーだ!
なんて思いながら勝手に拗ねていると、ふと來音ちゃんが深い溜息を吐く。

「なんか、キヌが心配になってきちゃった」
「え?」

そして急に、私の方を見てそう言ったのだ。
 心配? 確かに私も、先を考えると頭が痛い。でも、來音ちゃんまで心配する事は無いと思うんだけどなぁ……。
そう思いながら瞬きをしてたら、來音ちゃんはさっきよりも深い溜息を吐く。

「だって、あの時はお義母さんが居たからいいけど、もし二人きりだったら、どうなってたと思う?」
「どうって言われても……」

 來音ちゃんの質問に、私はどう答えていいか分からなかった。
彼女と違って、私は男子と付き合った事が無い。身近な男性と言えば、父さんや親戚のおじさんと、極端に年上の人しか思い浮かばない。だから、歳の近い男性の身に立って考えるのは、私にとって至難の業なのだ。
それで首を傾げることしか出来ない私を睨みつけると、來音ちゃんはとんでもない事を言い出した。

「あのねぇキヌ、下手したらそのまま襲われちゃうかも知れなかったのよ?」
「はいぃ!?」

 私はつい声を上げてしまった。襲われるって、私が? 信太に!?

「ないないない! あいつがそんな事するなんて、考えらんない!」
「もう! そんな事言ってるから、心配だって言うのよ! 絹子は『男』っていう生き物を分かってない!」

 精一杯手を振って否定する私に、來音ちゃんは怒ったような声で言う。途端に言い返せなくなって、言葉を詰まらせてしまう。
だけど、やっぱりあいつがそんな野獣だなんて、信じたくない。そんな思いが何故か出てきて、私は來音ちゃんと口論になってしまった。

「いい? 男っていうのは、プライドと性欲の塊なんだから、只でさえ絹子はスタイル良いのに、そんな過激な格好しちゃすぐに押し倒されちゃうよ!」
「でも、それは個人差あるじゃん? あいつは無い方だって! 絶対に!」
「根拠はあるの? さっきも言ったけど、何も起こらなかったのはお義母さんが居たからで、部屋に戻った後もきっとオナニーだか何だか」
「ここでそういう話止めようよ!」

 來音ちゃんの声は小さかったけど、口論から段々猥談になってきていたので、私はつい立ち上がってそう叫んでしまった。
その声があんまりにも大きかった所為か、來音ちゃんはきょとんとした表情になり、周りに居た生徒達もこっちに視線を向けた。

「大体、あいつが私を襲える訳ないじゃん!」
「だから、何でそう言えるの?」

 暫く間がって、周りの視線が感じられなくなった後で、私は椅子に座り直して來音ちゃんに反論した。
呆れた様な顔でまたそう訊き返す來音ちゃんに、私は今ある事実をつきつけようとした。

「だって、あいつには彼女が」
「キヌちゃん、ちょっといい?」

 途端に、その場の空気が凍りついたような気がした。
私を呼んだその声の主は、今まさに、私がその名を出そうとした生徒だった。

「……木田さん?」

 流石に、この時ばかりはまずいと思った。あいつの名前を出してないとは言え、今の会話の内容を聞かれていたら、私と信太の関係がバレてしまう可能性がある。
そう思っている内に、木田さんは私に近付いて手を取ると、突然私の前で思いっきり頭を下げた。

「ごめん! 今日の放課後、私と付き合って!」
「……え?」
 どうしよう。木田さんが何を言ってるのか理解できない。私が、木田さんと、付き合う? どういう事? デートのお誘いなの?
訳が分からず混乱していると、木田さんは本当に申し訳無さそうな顔を上げて、更にこう言った。

「あの、今日が駄目なら、明日とか……。キヌちゃん空いてる日ある?」

 その捨てられた子犬の様な眼差しに心臓を射抜かれ、私はすぐさま木田さんの手を握り返した。

「分かった! 今日から、絶対、木田さんを、幸せにする!」

そしてそう返した直後、ツッコミ担当の來音ちゃんに、思いっきり後頭部辺りを叩かれたのだった。


* * *


 放課後になり、俺はいつもの様に、比護と小川とで図書室へ向かった。
絹子とは、今日は一度も顔を合わせていない。教室を移動をするのに、少し見かけたくらいだ。
 昨夜は絹子に礼を言った直後、ドン引きの表情で「変態」だの「最低」だの散々言われ、誤解されてる事に気付いたものの、まともに弁明させてもらえずに、部屋に籠られてしまった。
正直、あれは俺の責任だと思う。もう少しちゃんとした前置きを言ってから、絹子に礼を言うべきだったかな。……いや、どっちにしろ勘違いされてたか。

「操鷺?」

 不意に声を掛けられて、俺はさっと顔を上げた。小川が不思議そうにこっちを見つめている。

「さっきからシャーペンが動いてないが、どうした?」
「いや、別に……」

 心配してくれるのはありがたいが、こいつも元は絹子と同じ演劇部で、そのメンバーでよく遊びに行くらしいから、こんな話が出来る訳がない。
まぁ小川はまだ相談しやすいにしても、問題は比護の方……

「ん?」

 ふと、俺のスマホが突然振動した。メールが来たみたいだ。
その場でメール画面を開いて、思わず声を上げそうになった。差出人は絹子からだった。

『今から木田さんとランデブーするから、晩飯いらねっ☆』

 ……何処から突っ込んだらいいんだよ!
 木田? 木田って風喜の事だよな? 何で風喜が、あいつと晩飯を食いに行ったりするんだ? あいつ等そこまで仲良かったっけか?

「おい、操鷺? 誰からだったんだよ?」
「あ、いや……」

 俺がメールを見たまま固まってたからか、比護が怪訝な表情でメールを覗き込もうとしてきた。
慌ててスマホをポケットにしまうと、気になるらしい比護は俺に縋り付いてきた。

「何だよ操鷺ぃ〜、見せてくれたっていいじゃねぇかぁ〜。俺達親友だろぉ〜?」
「ヤだ。お前口軽いし」

そんな比護に、俺はその一言で一蹴してやった。
と言うのも、俺と風喜が付き合ってる事を、絹子に教えたのも比護だ。言って欲しくない事に限って、こいつはうっかり口を滑らすから質が悪い。
そんなうっかりを繰り返してて、よくまぁ彼女が出来るもんだとつくづく思う程だ。

「そう言えば、お前昼休みに木田さんと何か揉めていたな。また別れ話でも持ち込んだか?」

 俺が言いたくない事を比護に言わされそうになった時、小川は大抵こうやって話を逸らしてくれる。
唯この時ばかりは、上手く逸らせていないと思った。こっちもこっちで、触れて欲しくない話だ。

「……ああ。それでまた風喜が怒ったんだよ。でも今回は何とか諦めてくれそう」
「マジで? どう説得したの?」
「お前にだけは教えない」

仕方無しに答えるとまた比護が詰め寄って来るが、こいつの口の軽さは羽毛並みだから、絶対に秘密事は話さないと心に決めている。
けど、この時ばかりは相手が悪かった。いや、分が悪かったと言うべきか……?

「なら、先程のメールはその件についてかな?」
「う……」

 ここでまさかの、小川が割り込んできた。こいつはあんまり、プライベートについては首を突っ込まないのに……。
だけどそう言われて、俺はようやく気が付いた。まさか風喜は、本当に絹子に目を付け始めたのか……?

「……何か、風喜が絹子と一緒に居るみたい。晩飯食いに行くんだって」
「え、何で多田っちと!?」

 逃げられそうにも無いので、メールは風喜から来たという事にして、俺は二人にその内容を打ち明けた。
案の定比護が食いついて来たが、どうにも場所が悪い。とりあえず近くの喫茶店にでも、二人を誘おうかと思ったその時

「よもや、操鷺に振られたショックで、多田氏と禁断の恋に……!?」
「は?」

 突然、小川が訳の分からない事を言い出した。は? 禁断の恋? ……絹子と!?
いや待てよ。もしあの絹子からのメールが、本当に風喜とのデート宣言だとしたら……!?

「いやいや、流石にいきなりレズに走ったりなんかしないだろ。なぁ操鷺。……操鷺?」

 苦笑しながら否定する比護の言葉なんか、耳に入る訳も無かった。その時俺の顔は、相当血が引けてたんだろう。
 俺が振った所為で、風喜がレズに? しかも相手は絹子? いや、確かに絹子の方は、そっちの気がありそうだけど……。

「操鷺」

 両肩に手を置かれ、顔を上げると、そこには真剣な表情の小川が、俺の目を直視していた。

「そう落ち込む事は無い。寧ろこれは、喜ばしい事だ。彼女等は楽園へと足を踏み入れたのだから……」
「え? ちょ、小川?」

 今になって思うと、この時俺は、唯単に小川のペースに呑まれていたんだと思う。
うろたえてる比護をよそに、俺は小川の、優しくも切ない表情を呆然と見ていた。

「でも、風喜は俺の所為で……」
「自分を責めるな。それは逃亡という名の、只の甘えだ。お前に出来る事は唯一つ、彼女等を引き止める事無く、暖かい眼差しで見守ってやる事だ」
「小川……」

 風喜と絹子を、傍から見たらレズだと言うのなら、恐らく今の俺達は、傍から見るとホモと言われただろう。
次の小川の発言で、俺はようやく目を覚ます事になる。

「さぁ、共に二人で、百合が百合たる事の素晴らしさを謳歌しよう!」

 そして小川が、声高らかにそう言ったその瞬間、俺と小川の頭に酷い激痛が走った。今度は自分がやったのでなく、比護に殴られたのだ。

「お前等馬鹿じゃねぇの!? いいかげんにしろよ!」

比護にそう怒鳴られ、俺はようやく、あの奇妙な雰囲気から逃れることが出来た。
直後、俺達三人が先生に怒られて、図書室から追い出されたのは言うまでもない。


* * *


 どうしよう。さっきからずっと緊張している。
私は今、木田さんの後ろに居る。木田さんの自転車に乗っている。
何だこれは。こんな美人と二人乗りなんて、夢なの? 現実なの? それとも天国なの?

「……キヌちゃん、何してるの?」

 赤信号で止まったところで、振り向いた木田さんにそう聞かれた。
それも当然で、私が某巨人化する主人公の様に、自分の手の親指の付け根に噛みついていたからだ。

「いや、痛いなーって思って……」
「そりゃそうでしょ。っていうか、何で自分の手噛んでるの?」

どうやら木田さんには、私の行動の意味が全く分からないらしい。まぁそうだろうね。
だから私は、木田さんに誘われたあの時から思っていた事を、そのまま口に出した。

「だって、憧れの人から買い物やご飯に誘われるのって、嬉しくない? だから、夢じゃありませんようにって」
「あ、憧れ……!?」

 途端に、木田さんが顔を真っ赤にして前を向いてしまった。照れてるんだと思うと、更に木田さんが可愛く見える。
けど、信号が変わって自転車を進めた時、木田さんは意外な言葉を呟いた。

「……私は、キヌちゃんが羨ましいな」
「え……?」

 その言葉の意味を聞きたくて、私は木田さんの顔を覗き込んその時、自転車が急停車して木田さんの背中に頭突きしてしまった。

「あ、ごめん。着いたよ」

木田さんが慌ててそう言うと、私の目の前には既にショッピングモールが聳え立っていた。
そう、私は今日この場所で、木田さんと買い物をしたり晩御飯を食べたりする事になったのだ。気分は恋人との初デート!

「で、ここで何買うの? 何食べる? 何なら全部奢っちゃうよ?」
「流石に、それは悪いよ……」

 完全に有頂天な私に、木田さんは苦笑してそう言った。今になって考えると、確かにちょっと恩着せがましかったかも。
早速中に入り、まずは食品売り場に向かった。明日のご飯の材料でも買うのかと思ったら、どうもそうじゃないらしい。

「キヌちゃんって、どういうお菓子が好き?」
「ん?」

 お菓子コーナーの陳列棚を見ながら、突然木田さんはそう聞いた。
いきなりどうしたんだろう。そういやもうすぐクリスマスだし、信太にあげるプレゼントを何にするか、私の意見を聞きたいとか? それともまさか、私の為に何か買ってくれるの……!?
なんて考えてみたけど、そのどっちかしかないなら、前者しかありえない訳で。でももしそうなら、何で比護君や小川君とかじゃなく、私なんだろう?

「グミとかキャンディーよりは、スナックとかチョコとかの方が好きかな」
「チョコか……」

 とりあえず答えてみると、木田さんは「チョコ」という言葉にだけ反応して、難しい顔をした。
そうか。確か木田さんは、私とは逆に、チョコやクリーム系のお菓子が大の苦手なんだっけ。一年の時にあげようとした友チョコも、断られちゃったからなぁ……。

「それがどうしたの? 操鷺にでもあげるの?」

 やっぱり理由が気になったから、私は思い切って尋ねてみた。
 噂だけど、木田さんは凄く嫉妬深いらしい。だからここで私が「信太」なんて呼んだりしたら、二度と口を聞いて貰えない可能性が微レ存。だから木田さんの前でだけ、信太を苗字で呼ぶ事にした。
その時

「うっ……」
「え!?」

急に木田さんが、泣きそうな顔をしたと思いきや、本当に泣き始めたのだ。
 どうしよう。折角誘って貰ったのに、憧れの人泣かしちゃうとか、私どんだけ最悪なんだよ! と、とりあえず落ち着かせないと……。

「ご、ごめん木田さん! 訊いちゃいけなかったかな?」
「違うの……。信太が……」
「え? し……操鷺がどうしたの?」

顔を手で覆って、正に乙女の様な泣き方をする木田さんの背中を擦りながら、私はその先を聞いた。
すると、とんでもない言葉が私の耳に入ってきた。

「私なんかより、もっと背が小さくて胸の大きい子が良いって……!」

 ……うっかり背中を擦る手を止めてしまった。
確かに木田さんは、うちの学年の女子の中では背が高い方だ。けど、胸? 胸って……。
 途端に何故か、昨夜の事が頭に過って、私はつい顔を赤らめてしまった。
それを掻き消すように頭を振って、私は思い切って自分の推測を木田さんに打ち明けてみた。

「木田さん、私をここに誘った理由って、もしかして……」

言い切らない内に、木田さんは私の手を握り、泣き顔をこっちに向けて頼みこんできた。

「お願いキヌちゃん! キヌちゃんみたいに胸が大きくなる方法、教えて!」

 私の思考は一瞬にして停止した。いや、停止と言うよりは、エラーを起こしたと言う方が正しいかな?
って言うか、胸が大きくなる方法? 私が? 木田さんに教えるの? そりゃ確かに、一時期ナイスバディを目指した事もあったけど!

「とりあえず、落ち着こう! 此処だと人も沢山居るし、ね!」
「あ、うん……急にごめんね」
「全然! 寧ろ、教えれる事があるかどうか不安だから、こっちが謝りたいくらい!」

 ようやく泣き止んでくれた木田さんに、私は作り笑いで精一杯宥めていた。
そして私は、過去の自分がどんな風にナイスバディを目指していたか振り返りながら、木田さんの手を引いてモールを回る事になったのだ。

 帰ったら、絶対、信太、殺す!


* * *


「比護、何してんだよ?」

 図書室から追い出された後、俺達は近くの喫茶店で、また勉強の続きをしようという話になった。
だけどあのメールの所為か、なかなか勉強に手が付かず、唯三人で喋ってるだけになってしまっていた。

「いや、別に?」

そんな時、比護が頻繁に自分のスマホを見てはテーブルに置いて、ニヤニヤしながらまたスマホが鳴るのを待っていた。誰かとメールでもしてんのか?
その行為が気持ち悪くて、俺は比護の方を睨んでいると、気になるかと挑発するように比護は訊いて来た。
「教えて欲しいなら、まずどう木田さんを振ったか言う事だな」
「じゃあもういいよ。別にお前が誰とメールしようが、特に気にならないし」

 ヤらしい笑みを浮かべながら比護はそう言ったが、こいつがこんな顔をしているなら、相手は大抵彼女の藤木さんだ。
だからそう言ってそっぽを向いてやると、比護はさっきの表情とは打って変わって、また俺にしがみ付いて来た。

「教えてくれたっていいだろ! 多田っちと言いお前と言い、何でそんなにケチなんだよ!」
「絹子がメールの相手かよ!」

よりによって、こいつは絹子に俺が風喜をどう振ったか聞き出そうとしていたようだ。何処まで下世話なんだよ。
喚く比護をひたすら無視してジュースを飲んでいると、また小川に訊いて欲しくない質問をされてしまった。

「そう言えば、お前は何時から多田氏を下の名前で呼ぶようになったんだ?」
「えっ……」

 俺は言葉を詰まらせた。同時に、比護がさっきよりもヤらしい笑みを浮かべ始めた。

「あれ、ひょっとして、ひょっとしちゃった?」
「なるほど。それで木田さんを振った訳か……」
「ち、違っ……」

 心なしか、小川までニヤけてるように見える。慌てて否定しようと思ったけど、間違いでも無いように思えて、上手く反論出来ない。
だけどこのまま勘違い(と言うべきなのかどうかは分からないけど)されるのは癪だから、俺ははっきりと本当の事を言ってやった。

「俺は! 唯単に! もうちょっと背が小さくて! その……」

その続きを言うのには、些か躊躇いがあった。けど、ここで言わなければ漢が廃る。そんな気がした。

「……胸が大きい奴が良いって、言っただけ」

 一瞬だけ、妙な間が生じた。
瞬きを繰り返すばかりの二人は、その妙な間の後で、各々の結論を同時に言い出した。

「それって、多田っちじゃん」
「結局のところ、多田氏だな」

そしてまた二人とも、ニヤけ顔に戻っていく。
……やっぱり、そうなるのか? いやいや、他にも居る筈だろ!

「お前等なぁ、絹子と同じ部活だったから、そいつしか思い浮かばないだけだろ!?」
「まぁ、そう言われると……」

とにかく言い逃れをしたくてそう言うと、流石に返す言葉が無かったらしい二人は、ようやく真顔になった。
 また妙な間が空いた後で、最初に口を開いたのは小川だった。

「……となれば、木田さんが多田氏を誘った理由は唯一つだな」
「え?」

俺は小川の方へ顔を向けた。比護も手を顎に当てて、自分の推測を語り始める。

「操鷺の言う『背が小さくて胸が大きい女子』で、最初に思い浮かんだのが、多田っちだったんだろうな」
「身長は縮めようがないから、せめて胸だけでも大きくしたいと思って、その方法を多田氏に訊き出そうとしている。というところかな」

二人の推理を聞いて、俺は合点が行った。
絹子に対して虐めか何かを企んでいるのかと不安だったが、よくよく考えれば、あいつもそこまで大人げない性格じゃない……筈。

「でさ、結局お前は、多田っちが好きなの?」

 何だか変に落ち着かなくて、そんな感情を抑えようと、ジュースを飲み始めた途端、比護にそう訊かれて、俺は誤嚥して勢い良く吹き出してしまった。

「操鷺、大丈夫か?」

 口元を押さえて咽る俺に、小川がそう言って紙ナプキンを差し出してくれた。
それで口やテーブルを拭きながら、俺は比護を睨みつけた。まだ咳は治まらない。

「しかし、その所ははっきりとさせた方がいいぞ」
「は?」

 ようやく治まったところで、小川にもそう言われたものだから、俺はつい柄の悪い返事をしてしまった。
そんな小川に乗った比護が、テーブルに身体を乗り出して、俺に顔を近付ける。

「そうだぞ操鷺! 勘違いなら勘違いだとはっきり言わねぇと、多田っちが危ない目に遭うんだからな!」
「う……」

そう言われてしまうと、こちらも返す言葉が無い。風喜がどれだけ嫉妬深い奴であるかは、俺が一番よく知っている。
唯、絹子が好きなのかと聞かれると、どうも答えづらい。確かに風喜よりは、絹子の方が好きなんだろう。けど、惚れてるのか否かじゃ話が違う。

「どうなんだよ、操鷺?」
「イエスかノーか、どちらかを言うだけだろう」

 悩む暇も与えてくれず、問い詰める二人に少しイライラしてしまっていた。

「分かんねぇよ、そんなの……」
「何だそれ、逃げてんのか?」
「別に、好きか嫌いかの二択で訊いてる訳じゃないだろう」

とりあえず今の心境を答えてみたが、そんな曖昧な答えでこの二人が退く訳も無かった。
好きなのか、そうじゃないのか、そればかりを聞く比護と小川に、俺のイライラは頂点に達した。

「そんなの、俺だってはっきりさせてぇよっ!」

思い切りテーブルを叩いて、俺は喫茶店の中で怒鳴り散らしてしまった。
比護と小川は勿論、他の客まで目を丸くさせてこっちを見ている。「うるさい!」と怒鳴り返す客まで居た程だ。

「「……ごめん」」

暫くして、比護と小川はまた同時にそう言った。
 今日はよく、妙に静かになる日だなぁと、心の端でそう思っている自分が居た。
 こんな風に他人に怒鳴ったのは、いつぶりだろうか。


* * *


「……キヌちゃん、そんなに食べるの?」

 ショッピングモールの中にあった、バイキングのレストランで、私達は晩御飯を食べる事にした。
焼きそばやらフライドポテトやら、自分が食べたいものをお皿に盛って戻ってきたら、木田さんが目を丸くしていた。

「食べたい物は、食べたい時に食べなきゃねっ!」
「そうなんだ……」

最近では、脂肪とかを気にして少食にしてる女子が多いけど、私がそんな事したら死んじゃうから我慢なんてしない。
 テーブルに置かれた割り箸を割って、「いただきます」と手を合わせると、まだ木田さんからの視線を感じた。

「……それだけ食べれたら、大きくなるかな」

それを聞いたのが食べる前で良かった、と心の隅で思ってる自分が居た。食べてる最中だったら、絶対に誤嚥していただろうから。
 出来ればこういう話は止めて欲しいんだけど、木田さんは最初からその心算で、私を誘った訳だからなぁ……。

「……木田さん。私ね、小さい頃からチーズが好きなんだ」
「え、チーズ?」

 仕方が無いから、私は自分がナイスバディを目指していた頃の事を、話すことにした。
木田さんにとって、当てにならない事だと分かってはいたけど、何も言わなかったり嘘を吐くよりはましな筈だ。

「で、小五くらいの時かなぁ……。友達とさけるチーズを分けて食べてたら、その友達が言ってたの」
「それを食べたら、大きくなるって?」
「うん」

 木田さんは溜息を吐いた。そりゃそうだろう。木田さんは乳製品が苦手なんだから。
とは言え、このままだと私も居た堪れないので、ネットで聞いた話を持ち出してみた。

「えっとね! 両手を合わせて、ぐっと力を入れたら大きくなるって話もあるよ! 根拠は無いけど、試してみたら?」
「うん……」

頷いた木田さんの表情は暗いままだった。どうしよう。やっぱり私じゃ何の力にもなれないんじゃ……。
 ふと、私の携帯からメールの着信音が鳴った。比護君からだ。
木田さんに一言断ってから画面を開いた途端、飲んでたコーラを危うく吹き出すところだった。

『お〜す多田っち! 今木田さんと何してんの?(´∀`)』

……何他言してんだあのバカシンがああぁぁぁあああ!!

「キヌちゃん、どうしたの?」

 携帯を見ていた私の顔があまりにも酷い事になっていた所為か、木田さんが心配そうにそう聞いてくれた。
流石にこのメールの内容は明かせないから、私は慌てて嘘を吐くしかなかった。

「いやぁ、晩飯いらないって家族にメールしたらさ、男とデートでもしてるのかって聞かれちゃって……」
「デ、デート?」

木田さんは顔を顰めた。まぁ、同性でデートなんて普通嫌だよね。そう考えると、家族にあんなメール送った事に罪悪感が……。
 とりあえず、この糞比護からのメールをどうにかしよう。無視なんてしたら、返事するまで訊いてくるに違いないから。

『答えてやる義理はない』
『そんな事言うなよぉ〜。一緒に部活した仲じゃん?(・3・)』
『まずそんな事訊いてどうする』
『操鷺が木田さん振ったって、何でか訊きたくてさぁ。あいつ教えてくれないしー(ー3ー)』
『なら私だって勝手に教えられんわ!』
『なんだよー! 多田っちのケチー(`3´)』
『他人のプライバシーに土足で踏み込むのが、そんなに楽しい?』

……やっと返事が来なくなった。あいつに隠し事があると気取られると、本当に面倒臭い事になる。
 溜息を吐いていると、また木田さんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「……キヌちゃん、今日はもういいよ。きっと家族の人が、心配してるんでしょ?」
「え?」

 いきなりで、何の話か分からなかったけど、私は瞬時に理解して首を振った。

「そういう訳にゃあいかん! 困ってる人が折角私に頼ってくれてるのに、途中で見捨てたりなんぞ出来ん!」

 男に二言が無いなら、女にだって二言は無い!
私の返答に、木田さんは目を丸くしていた。それから苦笑すると、少し言いにくそうに口を開いた。

「キヌちゃんって、優しいよね。私、最初はキヌちゃんが苦手だったのに……」

 だけど私は、木田さんのそんな言葉は気にならなかった。私が変人だって事は、自分自身十分理解している。

「人間、苦手だと思う事は当たり前じゃん? それに嫌われてるって訳じゃないから、力になりたいって思うんだ」

そんな木田さんを励ますと、私の言った事に何か引っ掛かる部分があったのか、木田さんは首を傾げた。

「えっと……どういう事?」

 しまった、と私は思った。

「私個人としてはさ、苦手な人っていうのは自分と相性の良くない人で、嫌いな人っていうのは自分に対して不快な言動をとる人。分かり易く言えば、良い人でも好きになれない人が苦手な人で、悪い人だから好きになれない人が嫌いな人ってとこかな」
「……ふぅん」

 私は慌てて木田さんにそう説明したけど、分かったのか分かってないのか曖昧な返事をされた。
まぁそれも仕方が無い事だ。これは私個人としての考えなだけであって、木田さんがそう思ってるとは限らないんだから。

「だから、苦手な人でも困ってたら助けてあげたいし、嫌われてないなら、協力したいって思えるじゃん?」

何だか話が脱線してる気がしたから、私は何とか苦手意識を持たれている木田さんに協力する理由を、そこで結論付けた。
途端に、何故か背筋がひやりとしたように感じた。……今のは?

「ごめん。私も家族に、帰って来いって言われちゃった」
「あ、そう?」

 ふと木田さんが自分のスマホを覗いて、苦笑すると席を立った。
明日返すからと言って勘定を私に任せた後、背中を向けた木田さんの表情が突然冷たいものに変わっていたのを私は見た。


* * *


 家に帰ってからも、勉強なんかに手をつけれる訳がなかった。
俺は机の上に頭を乗せて、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。
 今日は、母さんも何処かへ出掛けているらしく、家にはまだ俺しか居ない。
作り置きの晩御飯を食べる気にもなれず、じっと部屋に引き籠っていた。

「……酒飲もう」

 そう思い立った時には、既に時計の短針が八の数字に行き着いていた。
部屋を出て、台所に向かう。電気を点けると、テーブルに置かれた、絹子と母さん以外の全員分の晩御飯が顔を出した。
それらを素通りして、真っ先に冷蔵庫へ向かう。開けるとそこには、母さんが買ったのであろう数本のチューハイがあった。
その中からレモン味のを一本取り出し、テーブルに置く。それから冷蔵庫の中におつまみも無いか探してみたが、流石に無かった。

「……あれ?」

 おつまみを諦めて冷蔵庫を閉じた時、俺はテーブルの方を見て目を見張った。酒が消えてる。

「おいコラ未成年」

驚いた理由はもう一つ。さっきまで居なかった筈の人影が、テーブルの横に佇んでいたからだ。何時の間にか、絹子が帰って来ていたのだ。
俺が冷蔵庫から出したチューハイを持って、こっちを睨んでいる。怒っているのが丸分かりだ。

「こんなの勝手に飲んだら、麻弥姉に怒られるよ?」
「え? ……それ、麻弥子さんが買ってきたの?」

 呆れた様に溜息を吐いて、絹子はそう言った。母さんが買ってきたのなら問題無いけど、流石に他人が買ってきたものを物色しようとは思わない。
けどよく考えれば確かに、ここに来てまだ数日の内に酒を買い溜めて、冷蔵庫に入れておくなんて非常識な話かも知れない。
 はぁ、と絹子はまた溜息を吐く。これから何を言ってくるのか分かっているから、その分絹子の真剣な目を合わせられなかった。

「そんなに、辛かったの?」
「え?」

ところが、絹子が投げかけてきた質問は、思いがけないものだった。
 辛い? 何が? ……俺が?

「私を巻き込んで、そんなものにまで手を出さなきゃいけないくらい、木田さんと居るのが辛かったの?」

 見てみると、絹子は心配そうな、同情した様な表情で俺を見ていた。
 辛かった? 風喜と居るのが? 俺は……。
そうだ。

「……辛い」

 俺は出ない声を絞り上げた。絹子がまだ心配そうに、こっちの顔を覗き込んでいるのが更に辛くて、視線を落とした。
なんて情けないんだ。他人を巻き込んだくせに、そいつの前で弱音を吐いてるなんて……。

「……そっか」

 そんな声が聞こえたと思ったら、頭に何かが乗った感覚がした。絹子の手だ。
見上げると、絹子がこっちに微笑みを向けているのが見えた。それでやっと、絹子に頭を撫でられているのだと認識出来た。

「な、何すんだよっ!」

途端に更に恥ずかしくなって、俺は頭をさっと上げて絹子の手を振り下ろした。けれど絹子は、きょとんとしながら首を傾げているだけだった。

「弟慰めちゃいかんか? 家族ってそういうもんっしょ?」

そう言われて、俺ははっとした。
そうだ。俺達は家族なんだ。義理でも姉弟なんだ。だからもう他人じゃないし、恋愛なんかある訳無いんだ。
恋愛なんか……。

「……絹子」

 一先ず俺は改めて、絹子に謝ろうと思った。
けど絹子は俺が何を言おうか分かっていたかの様に、人差し指の先を俺の口に当ててその先を遮らせた。その行為に、また変に頬が熱くなる。
俺を家族として受け入れようとしてくれているのは嬉しいが、こいつは数日前まで俺とは他人だったって事を、もう少し自覚して欲しい。

「謝罪はいらない。その代わり、私を巻き込んだんだからちゃんと答えて」

 そう言った絹子の目は真剣だった。やっぱり、風喜について気になる事があったらしい。
静かに頷くと、絹子は今度は俺が予想していた通りの質問を投げかけてきた。

「私の知らない、信太の前での木田さんは、どんな人だったの?」


前のページ
次のページ
TOPに戻る

inserted by FC2 system