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第四話 修羅場也!

 今朝も携帯のバイブが、大音量で私を夢の中から引きずり出す。
ぬくらぬくらと起き上がりながら、私はゆっくりと体をベッドから降ろした。

「行ってきます!」
「え?」

 台所に出て来た時に聞こえた信太の声で、私は完全に目を覚ました。
時計は七時を指している。この家は学校から近く、八時に出ても十分間に合う程の距離なのに、何で今日に限ってこんな時間に……?

「今日は朝から、三年の男バス(※男子バスケットボール部の略)のメンバーで集まるんだって」
「へぇ……」

 私があんまりにもきょとんとしてた所為か、明美さんが察して朝食を出しながら私にそう説明してくれた。
運動部って大変なんだなぁと思いつつ、焼きたての食パンを齧る私の目に、異様な光景が映った。信太が出てい行ったというのに、お弁当が四つもある。

「あの、お弁当……」
「あらやだ。信太ったら忘れて行っちゃったのね?」

念の為明美さんに聞いてみたら、案の定だった。あいつも間抜けな所があるんだなぁ。
 ふと、何だか嫌な予感がして、私は早々に朝食を食べきって自分の部屋に戻ろうとすると、やっぱり明美さんに呼び止められてしまった。

「絹子ちゃん。悪いけど、信太にお弁当届けてあげてくれる?」
「……はぁ」

やっぱりそう来たか。私は溜息混じりに了承して、着替えた後二人分の弁当を持って家を出た。
 学校に着くまでの、そう遠くない距離を歩きながら、私は十回を越える溜息を吐いた。昨日信太と話した事が、頭から離れないのだ。

 信太の前での木田さんの性格。
・自分の気に入らない人の悪口をひたすら言っている。(以前は私も言われていたらしい)
・愚痴を言うにも、まるで全部自分が正しい様な言い方をする。
・「それはお前が悪い」と指摘すると、「私を愛していないのか」とヒステリックを起こされる。
・嫉妬の噂は大当たりで、女友達とゲームの話をするだけでも怒られる。

と、ここまでが昨夜信太から聞いた話だ。木田さんに憧れていた私としては、ショックだと言わざるを得ない。
人間誰しも悪口を言いたくなる時はあるし、嫉妬だって理解出来ない訳じゃない。だけど私が一番に驚いたのは、木田さんが何時でも自分が正しいと思い込んでいる事だった。そんな人間が居る訳無いのに。
 これから木田さんへの態度が変わるかも知れないけど、あくまでショックだっただけで幻滅した訳じゃない。私自身、そう思いたいだけなのかも知れないけれど……。
 自分の教室に行く前に弁当を渡しておこうと思って、私は信太が居ると思われる体育館近くに足を運んでみた。
その時

「……あれ?」

 妙な光景が、私の目に飛び込んできた。ネックオーマーで顔を隠した男子達が、たった一人の男子を囲んでいるのだ。
私はつい血の気が引いた。見た目からして既に変態である男子達に囲まれていたのは、正しく信太だったからだ。

「先生リンチです! 早く来て下さい!!」

 辺りを見回した矢先に、先生が体育館倉庫から姿を現したのが見えて、私は思わず声を上げた。
先生が来るのを恐れた変態ネックオーマー軍は、信太を残して一目散に逃げ出した。私の声を聞いて駆け付けた先生が、怒声を浴びせながらその後を追った。

「信太、大丈夫?」

 取り残された信太に駆け寄ってみると、妙に呆然とした顔で明後日の方向を見ていた。
特に制服が汚れたりはしていないから、まだ未遂だったんだろう。怪我も無さそうなので私は一先ず安心した。

「お前、何でここに?」

 ようやく口を開いたかと思えば、信太はまた私の心境そっちのけでそんな事を聞いた。
仕方が無いと溜息を吐いて、私は鞄の中から信太の弁当を取り出した。

「姉ちゃんに世話焼かせるな、バカシン」

そう言われるなり、信太は慌てて弁当を奪う様に受け取ると、青い顔で弁当をしまって私にこう言った。

「誰が聞いてるかも分からないんだぞ。あんまりそういう事言うなよ」
「あ、ごめん」

謝ったものの、そんな事くらいは分かっていた。唯辺りがあまりにも静かだったから、こういう冗談でも言わないと重い空気に押しつぶされそうだったのだ。
 そこで予鈴のチャイムが響き渡った。こんな時間になっても信太以外の男バスのメンバーが現れないのだから、信太を襲った変態ネックオーマー共の正体は察しがつく。

「じゃあ、俺戻るから」
「うん、気をつけろよ」

どうやら信太もそう考えたらしく、チャイムが鳴った途端にそそくさと自分の教室へ向かって行った。

「あ、キヌちゃん!」

 教室に着いたところで、不意に声をかけられた。クラスメイトで元演劇部長の藤木美香ちゃんだ。
さっきあった事件が事件だから、私は彼女の全身から溢れ出る癒しオーラに耐えきれず、すぐさま美香ちゃんに抱きついてしまった。

「美香ちゃ〜ん、会いたかったよぉ〜!」
「え? 昨日も会うたやん!」
「結婚しよ!」
「女の子同士は出来へんよ!?」

 毎回の事なのにこんな風に慌てて突っ込むところにまた癒される。こんな可愛い天使があの糞比護と付き合ってるとか、考えただけでも比護に対する殺気が止まない。
柔らかい頬っぺたに自分の頬をくっつけてその癒しオーラに浸っていたら、いつもは諦めたように溜息を吐く美香ちゃんに、いきなり肩を掴まれ距離を置かれた。

「そうやなくて、何でうちに言うてくれへんかったんよ! うち、あんなん聞いてへんで?」
「どんなん?」

 そしていきなり怒られたものだから、私は瞬きを繰り返すしかなかった。
ここはいつものように「美香ちゃんをうちに入籍させちゃった事?」なんて冗談を返そうかとも思ったけど止めた。ひょっとしたら、信太と同居している事がバレちゃったのかも知れない思ったからだ。

「さっき他のクラスの男子が騒いどってん。キヌちゃんが六組の操鷺君と……」

 そして話し始めた美香ちゃんの言葉に、私はついギョッとしてしまった。やっぱり同居がバレちゃった!?
と、思いきや

「付き合うとるって!」

・・・・。

「はい?」

そう返すしかなかった。


* * *


「……比護、本っ当にごめん」
「うん……。まぁ俺も、アレは悪い癖だって自覚してるし……」

 休み時間も終わる頃、俺は唯ひたすら小声で、顔中痣だらけの比護に謝っていた。
男子トイレの個室に3人も入っているのは流石に窮屈だったけど、人目に触れない為にするには打ってつけの場所だ。

「しかし、妙な輩が居るものだ。木田さんと破局寸前なのを利用してか、お前と多田氏が付き合っているなんて噂を流すとは……」

ひたすら謝罪と容赦を繰り返す俺達の間に割り込んだのは、小川だった。
 今朝方、ミーティングがあるって事で体育館裏に行ってみると、ネックオーマーで顔を隠した奴等に突然襲われた。
声と体格で分かった。そいつらは明らかに、一緒に部活をしていた同期だった。そしてその噂の話を持ち出すと、あんな美人を振るなんてと罵声を浴びせてきたのだ。
 で、絹子に助けて貰った後に即座に疑ったのが、比護だった。確かにあいつは口は軽いが、変な話を捏造するような奴じゃないと気付いた時には、比護は既にボロボロになっていた。

「でもこの噂、本当に誰が流したんだろうなぁ……」
「知ってたらお前を疑わねぇよ」

 腫れた頬を擦りながら零す比護に、俺はそう返すしかなかった。
俺と絹子の関係を知っているのは、この学校では先生と梨川さんだけだ。でも先生がそんな噂流すとは考えられないし、あれだけ絹子に信頼されている梨川さんが犯人だとも思えない。

「ひょっとしたら、多田っち本人だったりして」
「アホか」

そこで比護が冗談っぽく笑ってそう言ったけど、そんな訳がない。
確かに昔は、絹子が俺に気がある事に気付いて、茶化す奴が居なかった訳でもないが、あの噂の話は絹子だって知らないだろう。
その茶化してた奴等も、風喜の事をよく知ってる奴等だったから、そんな噂を流せば後でどんな痛い目に遭うか分かってる筈だ。
 と、その時

「木田さんが流した、と考えるのはどうだろう?」

ずっと考えていた様子の小川が、ふとそんな推測を口にした。
俺と絹子が付き合っているって噂を、今付き合ってる(まだ別れ話を承諾されてないから)風喜が流した?
確かにあいつならやりかねないとは思ったが、一体何の為に?
 小川に詳しく聞こうとしたところで、チャイムが鳴り始めた。
俺達は慌てて個室の鍵を開け、三人いっきに飛び出して教室に駆け戻った。
 授業中、俺は小川の言った言葉が頭から離れられなくて、勉強どころじゃなくなっていた。
絹子はもうあの噂の事を知っているんだろうか。こっそりスマホを覗いてみたけど、絹子からメールは来てない。
何だか色々と複雑な事になってきてしまったと考えながら、俺はその状況から逃避する様に、机にうつ伏せて夢の世界に入ったのだった。

「信太!」

 昼休みの時間。他の皆にとっては待ちに待った時間だろうけど、俺にとってはそうじゃなかった。
何故なら風喜に、一緒にご飯を食べようと誘われるからだ。最近は比護や小川と食べるようにしていたけど、今日という日に限って、風喜が弁当を持って俺の教室に来たのだ。
断ったら今以上に面倒臭い事になりそうな気がしたので、仕方なく今日は風喜と食べる事にした。
 廊下には水飲み場が二つあって、俺達は絹子達がお昼を食べる方とは別の方で食べている。
移動してからずっと風喜の顔を見ないようにしていた所為か、向かいに座った風喜が心配そうに顔を覗いてきた。

「ずっと暗い顔してるけど、どうしたの?」
「別に」

俺は即座にそう返してやった。仮に風喜が犯人だったとしても、噂の話は持ちかけられないと思った。
けど、風喜は少し考えたそぶりを見せた後で、とんでもない事を口走ったのだ。

「あんな噂気にしなくていいよ。信太と私がずっと一緒なら、そんなのすぐに消えるって」

 その瞬間、時間が止まったように感じた。途轍もない悪寒が、背筋を走った。
箸を持った手が止まり、俺は目を見張ったままゆっくりと風喜の目を見た。

「だから、もう別れようなんて言わないでね? キヌちゃんだってあの噂で茶化されたら可哀想だし」

そう言って笑った風喜の目は、心なしか濁ってしまっているように見えた。
言葉が出なかった。仮にも昔は特別な女性として見ていた風喜が、人間ではない何かに変わっていってしまう気がした。
 俺は確信した。あの噂は、間違いなく風喜が流したのだ。俺が風喜と別れて、絹子と付き合う心算なのだと周りに密告でもしたんだろう。
だとすると、今朝男バスの奴等が俺を襲うように仕向けたのも、風喜と考えて間違いはない。別れ話を撤回しようとしない俺を、あいつ等を使って脅す心算でいたんだ。
 どうしてこんな事になってしまったのだろう。最初に風喜に告白された時に、興味が無いと言って振っておけば、こんな事にはならなかったのだろうか。
何を言えばいいか分からないまま、俺は唯口をパクパクさせていたら、風喜の方から話題を変えてきた。

「そう言えば、信太のお母さん再婚されたのよね?」
「あ、あぁ……。何で?」

 俺は頷くしかなかった。風喜も一応彼女だから、この事実は伝えておかなくちゃいけない。その相手が絹子の父親だなんて、口が裂けても言えないが。
でも、いきなり何故そんな話を始めたんだろう。それを聞いてみると、風喜はにっこりと笑ってまたとんでもない事を言い出したのだ。

「新しい信太のお家、見てみたいなぁって思って。久しぶりにおばさんにも会いたいし、今日は一緒に帰った方があの噂もすぐ消えるでしょ?」

情けない事に、目と口が大きく開けてしまっていた事に、暫く気付かなかった。
 風喜が俺の家に来るって事は、言わば絹子の家に行くって事だ。
麻弥子さんや郷重さん、義父の和正さんの顔は流石に知らないだろうが、家ん中で絹子と風喜が会ったら洒落にならない!
だからと言って断れば、俺と絹子が付き合ってる噂がデマだって事も伝わらないまま、俺も絹子も意味も無しに茶化され続ける羽目になる。
 俺は必死でどう対処すべきかを考え、結果俺は今の所はこう返すしかなかった。

「母さんに大丈夫か聞くから、ちょっと待って」
「あ、そうね。おばさんの都合も考えずに、ごめんね」

放課後までには返事をすると言って、まだ中身の入った弁当を片付けて早々に席を離れた。
 教室の自分の席に戻って、俺は即座にスマホを取り出し、絹子に相談のメールを送った。
あいつは真面目だから、きっと学校に居る間は、携帯の電源を切っているのかも知れないけど、だけど
頼む絹子、気付いてくれ……!


* * *


「……ほんなら、それデマって事やんな?」
「だね。本当迷惑な話だよ」

 お昼の時間、私はやっとの思いで美香ちゃんの誤解を、同居の事を伏せたまま解く事が出来て清々していた。
一体誰がそんなデマを流したのか。ひょっとしたらその犯人は私と信太が同居している事を、何らかの方法で知ったのかも知れない。
そんな不安を抱えつつ、私はどうすればいいか來音ちゃんに相談しに行った。

「キヌってさ、ひょっとして人を疑う事を知らないの?」

 いつもの水飲み場のテーブルでお弁当を広げていると、來音ちゃんが不安げな顔で溜息を吐いた。
その言葉に私も、ついてきた美香ちゃんも目を丸くして首を傾げるばかりだった。
美香ちゃんに気を遣ってか、來音ちゃんは携帯を開くと、「言ってた画像送っといた」と言って私に携帯を見るよう促した。
画像は出任せにしろ、何かここでは言えない事をメールで送ってくれたらしい。開いた新着メールにはこう書かれてあった

『私じゃないけど、同居の話知ってるの私だけなんだから、普通疑うでしょ?』

 何と言うか、苦笑するしかなかった。
疑う訳がない。來音ちゃんは二年の時から色々と優しくしてくれたし、一緒に太秦やUSJにも行った程だ。
そもそも犯人だと疑ってるなら、デマの対処法を態々本人に聞いたりなんかしない。來音ちゃんは私の大事な親友だ。
そう返そうと思った矢先、また一件のメールが私の携帯に届いた。

「ふぁっ!?」

 思わず私は声を上げてしまった。突然の事に來音ちゃんも美香ちゃんも吃驚している。
だけど、一番吃驚しているのは私自信だ。まさかこんな事になるなんて……。

『どうしよう。風喜が家に来るって』

 差出人は紛れもなく信太であり、書いてあったのはその一文だけだった。
奇声を上げた後も開いた口が塞がらない私に、二人共心配そうに顔を覗き込む。

「絹子、……どうしたの?」
「キヌちゃん、大丈夫?」

だけどその時の私には、そんな声かけに応じる余裕は無かった。
 家に来る? 木田さんが? 歓迎したいけど、やっぱ無理だよねそれ!
父さんと姉ちゃん達は仕事で居ないから大丈夫だろうけど、私は家に帰れないよ!
何か、何処か時間を潰せるような場所はないかな……?
…………あ。

「あった……」
「「え?」」

 そうだ、あったじゃん! 木田さんが家に居る迄に時間を潰して、且つデマを消し去る方法が……!!

「ふ、ふふふ……」
「キヌちゃん? キヌちゃん!」
「ちょっと、本当にどうしたのって!」

 心配してる二人の顔が青褪めていた。今度はちゃんと応じる余裕があったのに、この時私は完全に調子に乗っていた。

「この役者兼脚本の私を、陥れられると思ったら大間違いだこの青二才共がぁっ!!」

自分の作ったシナリオに大満足しながら、私はそう叫んで下っ端悪党の様な高笑いを上げていた。
 私の言動に全くついていけてない二人は、唯唯呆然として暫く私の方を見ていたが

「……キヌちゃん、うちらもう演劇部引退したやん」
「まぁ、そうだけどね」

美香ちゃんの突っ込みで、私はようやく現実へ戻ってきた。
 そして私は美香ちゃんが居る手前、デマの対処法を思い付いたとだけ告げて、早々と空の弁当を片付けて六組の教室へ向かった。(勿論、後で來音ちゃんには親友だから疑わないって事も添えて、詳細をメールで伝えておいた。)

「おい操鷺、彼女のお出ましだぞ!」

 教室に入るなりいやらしい茶化し方をする男子が居たけど、そんな奴も信太も知らんぷりして、私はそっと小川君の腕に抱きついた。

「ねぇ幸信君、やっぱり受験終わるまで我慢なんて出来ないよ……。今日の放課後、デート……行こ?」

完全に役者モードのスイッチを押して、私は密かに頬を赤らめて小川君に上目遣いをしてみせた。
小川君も、他の男子達も、当然信太も、何が起こったのかまるで分かっていないような顔をしていた。

「え、ちょ……どういう事?」

 暫くの間が空いて、茶化した男子がうろたえた様子で聞いてきた。
ここからがこのシナリオの目玉だ。私は恥ずかしそうにもじもじしてみせながら、目を逸らして言ってやった。

「何か、変な噂立ってたみたいだから言うんだけど……私と幸信君、付き合ってるの」
「はぁ!?」

 周りの生徒達(信太を含め)が一斉に声を上げた。でも一人小川君は察してくれたようで、演劇部のスイッチを入れてくいと私の顎を上げて顔を合わせさせる。

「いけない子だな、内緒にしたいと言い出したのはお前だろうに……。まぁ、俺の女が他の男と付き合ってるなんて噂は、正直俺も御免だったがな」
「マ、マジかよ……」

ニヤリと笑ってそう言いながら、小川君は私に顔を近付ける。流石に恥ずかしいけど我慢しなきゃ。
 同じ部活って事もあって、皆完全に私と小川君が付き合ってる事を確信したようだ。シナリオ通り、上手く行った。
後は、こっそり信太に『木田さんが帰ったら連絡頂戴』とメールして、小川君に時間潰しに付き合って貰おう。
彼女には申し訳ない事をしたけど、これで何とかデマも修羅場も避けられそうだ。


* * *


 分かってはいた。あれは絹子が、あのデマを消す為にやった行動なのだと。
でないとあのタイミングで、俺や他の男子達の目の前で、あんな事をするはずがない。
分かってはいるんだ。だけど、何でだろう……。

「吃驚だったね。まさかキヌちゃんが、小川君と付き合ってたなんて」

 帰路の途中で、風喜が軽い調子でそう言ったが、表情はさっきから渋いままだ。
恐らく自分が流したデマが、ああもあっさり消えてしまったのが面白くなかったんだろう。
けど俺は、風喜がどう思ってるかなんてどうでもよかった。

「デマだって分かったんだから、家に来なくてもいいだろ?」
「もう、本当に何でそんな事言うの? ひょっとして、まだ私と別れたいなんて思ってるんじゃないでしょうね?」
「そうだよ」

 風喜が家に来ても問題無いか、母さんにメールしてみたけど結局返事は無かった。
それを暗黙の了解と判断したらしく、本当に家までついてくる羽目になったのだ。
出来る事なら、力の限りペダルを漕いで風喜を撒いてから、ゆっくり家に帰りたい。
それが出来ないのは、後々面倒になる事を知っているからだ。今でさえそうなのに。

「ねぇ信太、教えて。私の何処がダメなの?」
「全部」

 そんな俺の気も知らないで、風喜は俺に鬱陶しい事を聞いてくる。
本当に面倒臭いと思いながら、俺はてきとうにそう返した。どうせ言ったところで「私は悪くない」の一点張りだろうし。
すると風喜は少しの間俺を睨みつけた後で、訝しげにまた聞いて来た。

「やっぱり、他に好きな人が出来たの?」

 一瞬、息が詰まる思いがした。
何故かはよく分からない。確かにタイプの女性は見出せたけど、実際好きな人が出来たかどうかって話じゃないし……。
 どうにか誤魔化そうとしたところで、とうとう家に着いてしまっていた。
絹子は小川と時間潰しをしているだろうから、何ら問題は無いと思うけど、やっぱり不安だ。

「へぇ、本当に学校から近くなったんだ。何階?」
「二階」

 自転車を漕いで行くと、学校からは本当に五分もしない距離なので、風喜は関心の声を上げる。
俺は黙って自転車を駐輪場に置くと、またスマホを見直した。まだ母さんから返事は無い。きっと出掛けてるんだ。

「ただいま」
「お邪魔します」

 ドアを開けて俺と風喜は同時に言ったが、返事が無い。やっぱり母さんは出掛けているみたいだ。
家に居ないなんて事は珍しくないけれど、この時ばかりは居て欲しかったと落ち込んでいる自分が居た。

「で、家に来て何するんだよ?」
「何って、勉強! 信太もう受かったの?」

 突然家に来たものだし、持て成すものなんて無い(仮にあったとしても、何処にあるのか知らない)。
一緒に居てくれるだけでいいからと、風喜は俺にくっついて微笑んでみせた。これだけ見ると、可愛くない訳でもないんだけど……。
 俺は溜息を吐いて、鞄から教科書やら参考書やらを取り出して、それらをテーブルの上に広げた。
それから無言で参考書に目を通そうと、ずっとその頁の一面を睨んでいた。

「……」

 それにしても、絹子は一体何処で何をしているんだろう。
まだ小川と一緒に居るんだろうか。あいつもまだ受験生だった筈だし、絹子も長く引き止めたりはいないと思うけど……。
大体、何で小川なんだ? 確かに比護は藤木さんと付き合ってるから、二股って事になるし、それは藤木さんにも申し訳が無かったんだろう。
と言うかそもそも、他にデマを消す方法は無かったのか? 確かに他の男と付き合ってるって事にした方が、一番手っ取り早かったのかも知れないけど。
……何故だろう、無性に腹が立ってきた。

「信太?」
「え?」

 途端、風喜に声をかけられて俺は我に帰った。

「今、参考書読んでなかったでしょ?」

怒ったような表情で、風喜が俺の顔を覗き込む。
俺は慌てて、何とか誤魔化そうと言葉を選んでいたけれど

「信太の好きな人の事、考えてたの?」

 また、息が詰まった。

「私より背が小さくて、胸の大きな女の子?」

心臓を鷲掴みにされている気分になった。比喩じゃなく、物理的な意味で。
 何も言えなくて目を逸らしていると、風喜は俺の目線へ寄って来た。

「ねぇ信太、私のじゃ不満?」

そう訊いてきた風喜のブラウスは、ボタンが3つ以上開いていて、ブラの紐どころか谷間が見えてしまっている。
俺は開いた口が塞がらないまま、そのまま詰め寄る風喜から顔を引かせるしかなかった。
 その時

「ただいま〜。信太、帰って来てるの?」

玄関のドアが開いた音と共に、気の抜ける様な声が聞こえる。母さんが帰って来たんだ。
その声が近付いて来たので、流石にまずいと思ったのか、風喜がボタンを留め直す。

「あら、風喜ちゃんいらっしゃい」
「お久しぶりです」

そして俺の部屋のドアが開いて、風喜は母さんにいつもの笑顔を見せた。
俺は呆然としながら、唯唯母さんが帰って来てくれた事に、感謝の念を抱かざるを得なかった。

「お勉強してたの? 邪魔しちゃって、ごめんなさいね」
「いえ、今帰るところですから。晩御飯もありますし」

 気を遣って謝る母さんに、風喜は苦笑しながらそう言って、自分の勉強道具を鞄の中に仕舞った。
そしてその鞄を肩にかけると、腰を抜かした状態になっている俺の方にまた顔を近付けて

「また今度、誰も居ない所で」

と、さっきとは違った、何処か色っぽい笑みでそう言って、俺の部屋を出て行った。

「お邪魔しました」
「はぁ〜い。……信太、どうしたの?」

 風喜が帰り、母さんに声をかけられても、俺は暫く我に返ることが出来なかった。
気が付いた後、俺は部屋の鍵を閉めて、ティッシュを抜き取ってはまた自己嫌悪に陥ることになった。
だから、絹子にメールを送る頃には、大分に時間がかかってしまっていた。


* * *


「ごめんね小川君、変な事に巻き込んじゃって」
「何、あのデマは俺も何とかしようと思っていたんだ」

 家の近くにあるカラオケの個室内で、私と小川君はそんな話をしていた。
私と信太が付き合っているというデマを消す為に、私と小川君が付き合っていると嘘の宣言したのだ。目には目を、というやつだ。

「でさ、出来ればもうちょっと付き合ってくれないかな? お金は出すから」
「構わんさ。丁度羽を伸ばしたいと思っていた所だ」

 それからまた無理なお願いをする私を、小川君は快く受け入れてくれた。
けど少し目を逸らしてから、ばつが悪そうな顔をすると、こう付け足した。

「出来れば……言ってくれるなよ?」
「当たり前だよ! こんな事知られたら、私だってどんな恨み言言われるか……」

 思わず私は何回もそう頷いた。その直後に溜息も出てしまった。
バレてしまっては困る筈なのに、協力してくれた小川君は本当に広い懐を持っていると思う。
 何曲か歌った後で、ふと小川君が突拍子も無く聞いてきた。

「最近、操鷺と仲が良いのか?」
「ふぇっ!?」

あまりにも唐突だったから、私はつい裏返った声を上げてしまった。
その声に小川君も吃驚したらしく、一瞬だけ身を引いた。そして、図星のようだなと口角を上げる。

「だ、誰にも言わないでよ! 特に比護君には絶対!!」
「折角あのデマを払拭出来たんだ、言う訳が無いだろう?」

 きっと私の顔は、耳まで真っ赤だったに違いない。
慌てて小川君にそう頼みこむと、小川君は小さく笑って頷いてくれた。

「しかし、あれ程操鷺とは関わろうとしなかったというのに、一体何があったんだ?」

 小川君の問いかけに、私は言葉を詰まらせた。
彼は口は軽くはないのだろうが、如何せん自分の秘密を小川君に喋った事が無いので、話すべきか迷ってしまっているのだ。
 そもそも、誰にも言うなよと信太に口止めされてしまってる訳だし……。

「まぁ、仲直り出来る機会があったんだよ……」
「……そうか」

小川君には申し訳無いが、結局それしか言えなかった。
 信太からメールが来たので、私は約束通り彼の分も払って、店を出て別れを告げた。
木田さんと鉢合わせる事も免れたし、私も歌いまくってスッキリしたし、正に一石二鳥!
 ……と思いきや、帰って来た私を出迎えたのは、不機嫌そうな顔の信太だった。

「……どしたの?」

 木田さんと喧嘩でもしたんだろうか。聞いても信太は何も言わずにこっちを睨んでいる。
私が居ないとは言え、やはりバレてしまったんだろうか。そんな不安が頭を過ったが、やっぱり信太は何も言わない。

「誰と、何処に行ってたんだよ?」
「え?」

 鞄を下ろしたところで、ようやく口を開いたかと思えば、信太は突然親のような口ぶりでそう言った。
思わず聞き返すと、信太は強引に私の肩を掴んで、無理矢理に顔を合わせた。

「小川と一緒だったのか? お前、本当にあいつと付き合ってんのかよ!?」
「はい!?」

 つい変な声が出てしまった。
信太が非常に怒ってる事より、信太が本当に私と小川君が付き合ってると思い込んでる事の方に吃驚してしまった。

「あのねぇ! 何でお前はそういうデマ返しを信じちゃうかなぁ!」

 一先ず私は信太の手を退けて、その話も立派なデマである事を説明しようとした。
本当なら、これは演劇部メンバーだけの秘密にしたかったんだけど……仕方ないか。

「小川君にも、ちゃんとした彼女が居るっての。もう、他校の子だけど……」
「……え?」

 とりあえず、その一言から始めた途端、信太の顔があんまりにも間の抜けた表情になった。
だけどその表情の中に、何処か安堵が含まれているような気がした。


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