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「絹子、明美さんと晩御飯の材料買って来るから」
「あ、うん。行ってらっしゃい」

 学校がそろそろ終わる時間になって、父さんが部屋に入ってきてそう言った。
ベッドの上に寝転がったまま、ボーっとしていた私は、ほぼ生返事で父さんを見送った。
 玄関のドアの鍵が閉まる音を確認して、私はまた溜息を吐く。
來音ちゃんから来た心配のメールにも、「大丈夫」としか返せなかった。

「……」

 リビングに出て、電源が切れて何も映ってないテレビ画面を見つめる。
そしてまた溜息を吐いた。事は思ってたよりも、ずっとずっと深刻だったみたいだ。
 学校で内密にされたのも当然だろうし、私だけが知らされてなかったのも、この際しょうがない。
ただ、どうしてこの家だったんだろう。そんな疑問が浮かぶけど、きっと父さんも、寂しさを埋めたかったのかも知れない。
 色々とまだ頭の整理が出来ていない。でもきっとはっちゃんは、そうだと勘付いたから私にああ言ったんだ。それだけは分かる。
きっとこれも、自分が強くなる為の試練だ。母さんの言葉を思い出しながら、私は深呼吸をした。

「……?」

 ふと、玄関の方からする物音に気付く。ドアの外に誰か居るようだ。
誰か帰って来たのだろうか。この時間帯なら信太かな?
話したいことが沢山あるので、丁度良かったと思ったけれど、咄嗟に昨日のあの人影が脳裏を過った。
 息を殺して、玄関へ差し掛かるリビングの出口で、静かに耳を澄ませる。
聞こえるのは、誰かの体重がドアにかかってガタガタ鳴る音と、荒い吐息。
 玄関に出て、ドアスコープを覗こうかと思ったけど、こういう場合によくあるのは、見えるのはその人物の瞳孔だったという展開だ。
それに最近だと、室外からドアスコープを逆覗きされることもあるらしい。
そう考えると、玄関には出ない方が良い気がしてきた。
 だけど、ドアの向こう側に居る人物が、ひどく気になってしまっている私が居た。
不審者なら、通報しなきゃいけない。それが“奴”なら尚更だ。
けど本当に信太が帰って来ていて、鍵を忘れてしまって、私が寝ていると思い込んでて立ち往生しているとも考えうる。
きっとそうだ。そうであって欲しい。
 痺れを切らした私は、インターホンカメラからドアの前の人物を覗こうを考えた。
深呼吸をして、覚悟を決める。震える指をモニターのボタンに当てて、ぐっと力を入れた。

「っ――!!」

 声を上げそうになった口を、思わず押さえつけた。
ドアの前に居たのは、信太じゃなかった。フードを目深に被り、ドアに耳を当てて薄ら笑みを浮かべている男、卯月だった。
嘘だ。何で? 此処に引っ越したことは、小中学の同級生には一人も話してない。あいつが知れる筈がない!
 震え上がる心を落ち着けようと、何度も何度も深呼吸をする。けどそれと同時に、とんでもない事を思い出してしまった。
このインターホンカメラは、時間が経つと『ピッ』という電子音を発して、画面が消える。
慌ててまたボタンを押して取り消そうとしたけど、駄目だ。どっちにしろあの電子音が鳴る。
何か、何か打開策を考えないと。上手く呼吸が出来ずに、酸素が行き届いてない脳で、ぐるぐるとそんな事ばかり考えていた。
そうしている内に、『ピッ』という音が、私の両耳に突き刺さった。

 ピンポン

 それから一秒も経たない内に、インターホンが鳴り、消えていたモニター画面がまた映った。
真正面で、ニタリを口の端を吊り上げつつ、カメラを見つめているそいつは、やっぱり卯月だった。
 私はとうとう息が出来なくなって、立っていられず腰を抜かした。それでもインターホンは間髪入れずに鳴り続ける。
警察。警察を呼ばないと。震えて動かない足を引きずって、電話の所へ向かおうとしたその時だった。

「おい、人ん家で何してんだよ?」

玄関のドアの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた。
 モニターに目を向けると、卯月の後ろに、信太が先生と一緒になって立っていた。

「信太っ……」

思わず、信太の名前が口から零れてしまった。
また慌てて口を塞いだけど、流石に聞こえていないみたいだ。
 先生が一緒に居ると分かった途端、卯月は信太を突きとばして、先生の制止も聞かずに逃げて行った。
結構な力で突きとばされたようで、尻餅をついていた信太は、先生に手を引かれて起き上がると、深々と頭を下げた。
 モニターの映像は、そこで消えた。何で先生が一緒なのかは分からないけど、とりあえずは助かったみたいだ。

「ただいま」

 それから少し経って、信太が玄関のドアを開けた。
さっきまで震えていたのを悟られたくなくて、私はドアの鍵が閉まった音を確認して顔を出した。

「シンちゃん、おっかえりぃ〜! なんかすっげーピンポンピンポンうっさかったね?」

 パッと笑顔を作って、私は信太を出迎えた。先生は居ない。どうやら学校に戻ったらしい。
信太は一瞬だけ目を丸くしたけど、すぐに真剣な表情になって私に近付いてきた。

「……え?」

そして突然、私の右手を取り、ぎゅっと握りしめた。
その時に気付いた。元気に振る舞おうとしたのに、自分の手がカタカタと震えているままだった事に。

「絹子」

 ふと名前を呼ばれたと思ったら、気付けば信太の着ているブレザーの襟元が目の前にあった。
背中に何かが巻きついてる感触がして、ようやく自分が抱きしめられていることに気付いた。

「え!? ちょっ……」

突然の事で、状況が理解出来ない私の頭をポンと撫でると、信太は耳元で優しく囁いた。

「大丈夫。大丈夫だから……。もう、我慢しなくていいから……」

そう言われた途端、緊張の糸が切れてしまったらしい。涙が溢れ出てきて、視界がぼやけてしまった。
 それは私が、信太に言おうとしてた言葉なのに。私が信太にそう言って、抱きしめてあげようと思っていたのに。
全部全部、先取りされてしまった。悔しくて、だけどやっぱり恐くて、信太の背中に手を回して、声を上げて泣いてしまった。
 嗚呼、情けないお姉ちゃんだなぁ。


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